『わたしたちはパソコンに向かって何をしているのでしょうね。』ナガオカケンメイ氏の日記にとても面白いことが書いてありました。
キーワードは「
日常が退屈しない、というだけ」です。
最近読んだ本で、いがらしみきおが言っていました。
みんなホントにそれらしいマンガがかける、、、
でも面白くないよね。点でしかない、線になっていかない、
流れの先に点を打っていない。
最近はアートも漫画もお笑いも境界線がないよね。
デザインのレベルどんどん下がってる。
クライアントに説明しやすいだけだね、とか。
愛着を持ってもらえないよね、とか。
固い、とか、手加えすぎ、とか。
田中一光のデザインはやっぱりすごい。
多摩美のマーク理屈じゃないよね。
あれは「デッサン力」だね。
図案家ってなに?
マークって何?
イラストッテ..............
あー、もうこの話題やめていいですか。
しんど。没。
ナガオカケンメイ氏の日記、転載しておきます。
パソコンに向かっているみなさんは読んでみよう。
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2008年07月22日
わたしたちはパソコンに向かって何をしているのでしょうね。
わたしたちはパソコンに向かって何をしているのでしょうね。ふと思いました。不必要にメールを送り、アナログをデジタルに変換し、思っていることをテキスト化して、写真を貯めて、編集をして、ゲームをしたり、音楽をダウンロードしたり・・・・。セカンドライフがグッドデザイン賞を受賞したとき、正直、かなりひきました。わたしたちは画面の中のバーチャルを作り込むことに、リアルな時間をつぎ込んでいる。ひとことで言えば、そういうことですよね。
現実を見て、何かをする。例えば昔の作家なんかも、旅をして原稿を書いたでしょうし・・・・。今は知る限りでは、データを集め、検索をして、短時間に自分の頭のほんの片隅に湧いたイメージをパソコンを使って作り込んでいく。
僕もこうしている作業や時間は、いったい何なのか、考え始めました。確実に読んでくれる保証もない、目的もないバーチャルな中に、日記を書いていく。地球上のたくさんの人が同じ事をしている。その時間や意味はいったいどれほどのものなのでしょうね。
i-phoneを買うことをあきらめました。本当は新しもの好きとしては欲しいし、毎回、こうした「NEW」は、手に入れて感じるものが多く、いつも購入してきました。そして、これも毎回のことですが、しばらくは夢中になるのです。写真を入れたり、見せたり、音楽を聞いたり・・・・・。しかし、それは便利になったわけではなく、画期的なわけでもない。日常が退屈しない、というだけのように思います。その入力をしたり取り扱い説明書を読み込んだりするという新種の「幸せ」は否定しませんが、生きるという本質の中には、やはり、入れ込みたくはないことのような気がします。
自分の周りをみてみましょう。i-podを何回買ったでしょう。ケータイを何回、買い替えたでしょう。パソコンを何台買い替えたでしょう・・・・・。パームのようなものを何回、買ったでしょう・・・・・。
パソコンの中に時間をさく。高速で密度の高いコミュニケーションから、新しいチャンスが生まれ、知らない人ともシンプルな出会いや挨拶ができる。「新しいコミュニケーション」。本当にそんなにいいことでしょうか。
と、ここまで書いて、かなりむなしくなりました。情報は多い方が、本当にいいでしょうか。昔の人はパソコンでメールを打つ時間を、確実にバーで飲んで、熱く語るようなことに時間を使っていました。多少、プレゼンテーションが下手でもいいと思います。そこに時間を割いて、「みんなと同じような」すばらしいパソコンでのプレゼンテーションができなくても。その「周りがそうしている」というだけのことに、自分もそうしているような感じ。歳なんでしょうかね。
投稿者: ナガオカ ケンメイ 日時: 12:49
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