僕は教師という役割の人が嫌いです。
それは、今までの経験上、良い教師に出会ってないから。
そして、人を援助することを科学的に(理想を)学んだ結果、やはり教師という役割は嫌いです。
別に、教師になろうとする人が嫌いというわけではなく、教師という役割・行政的側面や、その現在の状態が非生産的だと思うから。
僕は、小学校の頃に最低な2人の女教師に出会いました。
一人は、体罰と飴を使う豚教師。こいつは本当に今思うと「なんて無知で非論理的な人間だったんだろう」と悲しくなります。
もう一人は、生徒の努力を認めない屑。
後者の方は、鮮明に記憶している出来事があるので、紹介しましょう。
小学6年の僕は文集委員という、卒業文集を作る役割をしておりました。
みんなに配布する原稿のフォーマットを改善するために、昼ごはんを早く食べて委員会室で作業をしてました。
他の子は昼食を食べてました。
そこに、女教師(委員会担当)がやってきて、僕が作業をしている姿を見てこう言いました。
「そういうことは家でやってきなさい。君は作業が遅れているんだから、他の人に迷惑でしょ?」
むかつきました。作業が遅れている?俺が??
全て計画済みで、僕は誰よりも早く作業は進んでいました。
ただ、前の作業である「原稿レイアウト」を改善していたために、他の人よりも作業が遅れているように女教師には見えただけでした。
結局、最終的には僕が1週間ほど他の生徒よりも早くに全ての作業を完成させました。
女教師は1週間前に僕に何て言ったのか覚えてないようでしたが・・・僕は、自分の作業が全て終わった日に女教師に言いました。
「もう、仕事は終わったんですが、家で何かしてきましょうか?」
その後に言った女教師の言葉は
「じゃあ、作業の遅れている○○くんを手伝って」
明らかにそこ子は作業は遅れていませんでした。
僕が手伝った結果、2番に作業が終わりました。
人の行動を正確にモニター出来ない人間が、人に対して教育なんてできるわけがない。
それは今も同じ。
いろんな会議でいろんな教師という役割の人間に出会うけど、ホントに…勉強しなおせ。
それは、人との付き合い方だし、人への支援の仕方について。
我々科学者が説くのは「理想」と言われ、笑われるかもしれないが、生徒にとって最善の援助が分かっているのに、それを「理想」と笑うような人間が、他者を教育するなんて、絶対に間違っている。
絶対に、間違っている。
教師は常に考えないといけない。
自分が「今」教えている生徒は、まだ無知な子供かもしれないが、未来には自分よりも賢い人間になっている可能性があること。
その生徒が、自分の教育論を「今」実際に否定していることを。
・・・まさか、研究のフィールドで再会するなんてねぇ・・・
僕が、あなたの教育論の全てを否定させて頂きます。
あなたの存在すらも。
データをつけて。
科学的に、論理的に。
高ぶる自分を抑えるのが大変ですねぇ〜www
先に言っておきますが、御愁傷様です(笑)
まぁ、誰とは言いませんがね。
by 木の葉 at 00:52
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