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2008-02-24 (日)

「エリザベス:ゴールデン・エイジ」          カルチャー /映画

「エリザベス:ゴールデン・エイジ」(2007年、イギリス)



 昔、私が「エリザベス」を観た時の事だ。
 話の筋自体はそう目立ったものではないように思う。一人の王女が運命の流転の末に王となり、数々の策謀や裏切りを経て、この世で唯一無二の存在となるまでの物語だ。
 目を引いたのは、細かい技だ。登場人物一人ひとりの描き方や衣装に建物に映像、光の加減、一つ一つが私の心を満たした。
 中でも主人公、エリザベス女王を演じた、ケイト・ブランシェットの演技には圧倒されるばかりだった。場面を重ねるごとにエリザベスの心境の変化を丁寧に綴っており、最後のエリザベスのある決断を取る場面は精神的なものの頂点さえ感じさせた。この映画の最大の魅力が、彼女の存在にあることは私にとって疑いようの無い事実だ。
 しかし、私の心をそれでも惹きつけたのは、彼女ではなかった。
 ウォルシンガムである。
 他の家臣、心の支えとなる人たちが去っていく中、遂に彼女がその手に残したのが、拷問や暗殺をいとわぬ、情とはどこか違う所にいる存在であった、という図は、私を違う世界へ旅立たせてしまった。ええ、「銀河英雄伝説」でも、好きなキャラクターはメルカッツの次にオーベルシュタインだ。
 実を言うと「日本でこの役をやるなら岸部一徳だろうか」というどこかの方のご感想が、私を岸部一徳ファンにさせた遠因だったりする。単純だなおい。「相棒」の小野田官房長、大好きです。是非最後は野望の階段を登りきった後で、右京さんと薫君の手で盛大に破滅してください(これを望んでない官房長ファンはいない筈だ!)。
 話を戻そう。そんな訳で当然、この役を演じたジェフリー・ラッシュの他の役も大変気になり、次に手に取った「恋に落ちたシェイクスピア」のヘンズローにひっくり返ったりしつつ、次々と作品を目にしたのだが、やはり孵ったひよこさながら、ウォルシンガムはジェフリー・ラッシュの出演作の中でも、私の中で特別な存在の座を占めたままであった。
 そんなウォルシンガムが帰って来るという。もちろんエリザベス女王のその後の映画でだ。
 まだ出来てからそう年月も経っていない、大阪のシネコンへ足を運びながら、しかし私には、また会えるという喜びの裏に、多大な不安を抱えてもいた。
 前作から十年ほどの時間を経て作られた話である。エリザベスは変わらずに女王であるだろう。その確信は何故かあったが、映画自体と、ウォルシンガムについては恐怖さえ覚えた。

 ジェフリー・ラッシュのあの演技をもってしても、ウォルシンガムから漂っていた色気がなくなっていたらどうしよう。あるいは、何かの手違いで、ウォルシンガムがつまらない人間に描かれていたりしたらどうしよう。あるいは、エリザベスがどうしようもない人間になっていたらどうしよう。あるいは、あるいは。



 目を引くのは、エリザベスの映し方とウォルシンガムとの距離感である。壮大な建物の中にそっとそのその存在を置いているかのようであったエリザベスは、今回、数々の場面でくつろいでいるように思える。むしろ、建物や都市や国の土に、自分の存在を馴染ませたかのようだ。生き生きとしている。
 驚いたのは、ある場面、怒りのあまり、ウォルシンガムの頭を小突いた所だ。前作を観ていてウォルシンガムの怖さを知っている私は、「それをやっちゃっていいのか」とちょっとだけ思ったが、今のエリザベスの存在感と力、ウォルシンガムとの関係なら完全に不問だと観ていて分かるのが凄い。加えて、更に増すエリザベスの生命力の裏で、ウォルシンガムのそれのかげりをも象徴しているかのようで興味深い。
 彼の目線が前回は女王の影から、あるいは上から、彼女を覆うようにかけられているように思えたが、前作の最後、マリア像の前でそれすら取り払った事で、エリザベスへの視点は、今は見た目どおり、側に、あるいは横にある。お互い、「いいのか、そこまで言って」と思うぐらい、かなりつっこんだ発言をしている。その理由は最期になってようやく気付いた。
 実は見終わった後でノベライズ版を読んだのだが、各登場人物の描写は映画とは少しずつ異なる。特にウォルシンガムはもっと冷徹な人間として描かれている。映画の彼は違う。家族に健康を心配されたり、自分を裏切った弟にも心を痛めて接しているのが見て取れる。どこか超然としていた前作やノベライズ版と違い、人間になっているのだ。それでいて前作同様、拷問を行い、不信の渦のような諜報活動を行い、しかも尋問や拷問の絶対性に頼り切った人間が必ずそうなる、致命的な失敗をするのだ。とうとう病床についたとして、誰が責められるだろう。あくまで己の任務を第一とした結末を迎えたノベライズ版も好きだが、やはり映画版の方が魅力では勝るように思えるのは、私が、己が弱い事を知っている人間が好きだからだろう。
 病床の彼の元へ赴いたエリザベスの言動は、あくまでやさしい。ベスとは違う意味で、彼はエリザベスの友だったのだ。前作の最後、マリア像の前のエリザベスの拒絶があった為、二作品を通して、今回の最後の口づけでしか二人は触れ合わない。そういう男が側にいた事はエリザベスにとって幸福な事だったのだろうとは思ったが、もしも前作の最後、エリザベスが拒まなかったら今回はどうなったのだろう、と考えても興味深い。


 一方で、今回の「触れ合った男」、ローリーはいい男だった。エリザベスにしたことは確かに裏切りだけど、場面を追いかけると、その一つずつの行動は男として正しいのがよく分かる。
 ベスと情をかわした場面でもしも慰めていなかったら酷い男となるだろうし、その後、ちゃんと身を引こうとするベスを止めて責任を取ったのも、一方でエリザベスの激情を受けとめて海上へ旅立とうとする心を抑えて宮廷にとどまり、彼女の願いを受け入れたのも、とても正しい、でもまとめるとやっぱり最低だ、となる不思議な例である。
 ともあれ、彼が一人の男として筋を通しきったのが分かったからこそ、エリザベスも最後は許し、二人の仲を祝福できたんだろう。エリザベスを巡る男達では、一番幸せな人だったのではないだろうか。調べたら最期は酷いけど。ベスも凄いな。



 前回も各人の衣装がとても目を引いた。ウォルシンガムのあの紫調の、裾のさばき方も重厚な服が好きなのだが、今回もエリザベスの色とりどりの服をはじめ、とても衣装が目を楽しませてくれた。
 芸も細かい。ベスがローリーと踊る場面の服はエリザベスと同じ色合いだし、エリザベスが着た甲冑や、最後の服もよい。
 特に凄みがあるのはメアリ・スチュアートの処刑場面だろう。その前、エリザベスを始め、侍女などの服が多少地味な色合いだな、と思っていた所へ、あの黒から赤への変化である。女王としての意地を赤で表現するというのはありきたりではないか、とちらっと思ったのだが、それも理由があって、私はこの映画で、赤はキリスト教で殉教の色だというのを知りました(駄目人間)。意地の悪いことを考えたが、それでも衣装が何よりも処刑に向かうメアリの意思を雄弁に語っていた。アカデミー賞受賞、おめでとうございます。



 そのメアリ・スチュアートとの対決はもっと描いて欲しかった。エリザベスがあれほどの政権を築けたのが、生まれとしては正統である、メアリの存在があったのが理由の一つとして挙げられると思うからだ。我が身を斬られるように処刑の刻を迎えるエリザベスの痛ましい様子は、本当にもう一人の自分のように思えたからに違いない。
 前作のエリザベスの姉のメアリ(以下、メアリ・スチュアートと紛らわしいので姉メアリと書きます)も出番は少なく、典型的な腹違いの妹への憎しみで苦しむ女王の描かれ方をされていたが(いや姉メアリがエリザベスを憎んでいたのはほかにも色々な要因はあるんだが、それは置いておいて)、最後に一つ、姉メアリはその描写に深みを増している。愛した夫を含め、周囲に利用され続けた彼女が、一番憎んでいた妹の処刑を拒む事でしか、己を通せなかったという哀しい場面だ。
(だから私は姉メアリを、ありきたりの妹を憎む女として描いただけのコミック版が許せない)
 今回のメアリ・スチュアートにはそんな場面は無かった。彼女を主役にして話が次々と作られているのだから、その辺を突っ込むと大変な事になるのは承知で、もっと描いてあげて欲しかったと思う。とりあえず前作でウォルシンガムに殺されたメアリー・ド・ギースが彼女のお母さんだという説明は欲しかったぞ。メアリがいっぱいの映画だな。



 エリザベスには様々な影がある。メアリ・スチュアートという影、ベスという影、ウォルシンガムという影。
 前作は、エリザベスがあの場面で「聖女となった」話だった。今回は、「聖女として生きる」話だったのだ。その裏にある影は全て去ってしまった。赤子を抱える彼女の姿は明らかに聖女を意識していて、あまりに神々しいほどだったが、もはや影が無いというのは一抹の不安も覚える。
 となると、もしも続編があるとしたら……?
 ウォルシンガムの存在がもう無いのは残念だが、史実に基づくと、彼の名前が出てこないことは無いだろう。何せ、○○○○○が彼の○と○○するからね。という事はウォルシンガムの家の場面は続編の複線でもあるのか。
 でも今回、セシルとロバートも出てこなかったからな。ウォルシンガムもちょっと怪しいかもしれない。ロバートはノベライズ版ではおいしい所をかっさらっていたが。今は亡き丹波さんか、君は。
 ローリーはいるだろうけれど、事実上、エリザベスはたった一人で最後の試練に向かわなければならない。どうなるかが大変楽しみである。



 余談で、もうちょっとウォルシンガムのことを書くと、ノベライズ版には映画に無いエリザベスとの場面がいくつかある。前作のものでも暗殺未遂で失神しかけたエリザベスを、抱えてくれた人をロバートと誤解するが実はウォルシンガムだった、という、結末の複線でもある素敵な場面があったが、今回も「私の命はあなたのものよ」と告げる場面がある。情愛とは別のところで存在する信頼というのはあるのだ。

 ウォルシンガムはウォルシンガムだった。そしてエリザベスの側にずっといた。

 それを描いてくれただけで、私としてはこの映画に大変満足である。



 と、いう訳で、「エリザベス三部作はウォルシンガム×エリザベスなのですよ(!)」と世界の隅っこでささやかに主張してみた感想であった。
 当然ながら史実は完全に無視しよう。



by せつこ at 15:29 │comment (0)TrackBack (1)

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2008-01-27 (日)

「子猫の涙」          カルチャー /映画

「子猫の涙」(2008、日本)


 今回はツインタワーの映画館へ向かった。ツインタワーはいつも風が吹き付けてきて寒いなあ、と思っていたが、人体の不思議展の為に外で行列に並んでいた人達を見て己の軟弱さを反省する。凄い。


 実在したボクサーの話である。どこまでが本当かは分からないし、ヤの字の方々が出てくる場面や葬式で皆が泣く場面の描写など、とてもベタだな、と思えるところもあった。

 しかし、観終わってから改めて森岡栄治という人のプロフィールを見て、、この映画の恐ろしい事に気付いた。

「この映画、肝心の事ははしょっているぞ?」

 肝心の事。つまり、きちんと人生を立て直し、再びボクシングジムを築いて数々のボクサーを世に送り出す下りは全く触れられていない。

 アマボクサー人生のクライマックスであるオリンピックの下りも、娘がお祖父さんから聞くという形で、さらりと触れられるだけである。

 では何が語られているか。「やっちゃいかんやろ、それ」というような出来事や、「なんでそれをすんの?」と言いたくなるような出来事が、延々と語られるのである。


 何が恐ろしいのか。

 ある人の偉大さを、その素晴らしい業績を使って語ることは誰でも出来る。

 ある人の駄目な面を並べて語るだけなら、こちらはちゃんと作らないと見るのは疲れそうだが、それでも出来る。

 ある人の駄目な面を並べて、その偉大さを語っているのである、この話は。

 勿論、娘の視点と語りという手法で、駄目な面がどこまでも駄目であると語られて入る。しかし

、観終わった後、私が思ったのは、

「いい人生だったんだな……」

 という事であった。壁にぶつかり、石に躓き、一見遠回りだった人生が、常にどこかで理解者を作り、いつしか本人を救っていた、と思えたのだが、どうだろうか。


 とはいえ、監督さんのブログを見た所、はしょった後半生部分の話の構想もあるそうなので、そちらも観たいものである。

by せつこ at 12:28 │comment (0)TrackBack (0)

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2007-08-13 (月)

「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」          カルチャー /映画

 この記事、何故か一旦消えてしまったので書き直しです。


「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」(2007年、アメリカ)


 ジェフリー・ラッシュが出るのである。そりゃ行くだろう。ファンクラブ会員番号0001番としては!の割には最終週に行きました。すみませんでした。

 日本におけるジェフリー・ラッシュの認知度と人気を急激に上げたという点で、この三部作は大変意義があるものと思う。でもジョニー・デップのそれとは比べ物にならないのが悲しい。でもそんなジョニー・デップも、オーランド・ブルームもキーラ・ナイトレイも、これで好きになった。「ネバーランド」と「エリザベスタウン」と「ドミノ」も観なければ。


 最初、家に一番近い映画館に行くつもりだったが、七時五十分からの上映という事で、急遽、仕事場に近い、六時から上映する映画館に文字通り駆けつける。最近改装したそうだが、それでも隠せない年季が海賊映画に合っている気がして、楽しい上映となった。音も綺麗だった。人もそれなりにいたのでやはり人気作品だったんだなと実感した。代わりにお昼以来、終演まで飲まず食わずだったけれど、お手洗いに行く必要を感じなかったので助かった。いつもなら、大作のエンドロールは地獄だ。


 思った事をいくつか。


・ティアがカリプソというのは理解できたが、エリザベスがカリプソというのはどうなったんだ?

 え?海賊王になった上に、惚れた男全員が酷い目に遭ったから、ある意味合っているって?

・「後悔するよ」と言われた割には更なるペナルティを課せられた様子もないし、バルボッサ、よみがえり得?

・カリプソとデイヴィ・ジョーンズって、結局、お似合いのカップルだったという事だよな。海の底でいつまでもお幸せに(?)。

・ウィルの養父の酔いどれ鍛冶屋さんとか、エリザベスの家の人がどうなったかが気になります。

・回想シーンで良いので、「バルボッサ、蘇ったの!?」の驚愕の直後の、共闘を決めるまでのやり取りを見たかった。

・サオ・フェンももっと活躍して欲しかった。せっかくの新キャラなのにもったいない。

・ノリントンも、「元の地位に戻ったけれど、本当に欲しい物の為に今、ここにいるのは違うのでは?」と自問する場面や、スワン総督お父さんとしみじみ語り合う場面、それからお父さんの死を知って驚く場面とかを入れると最後の場面がもっと生きると思うがどうだろう。

・お父さんももっと出番をあげて欲しかった。

・ベケット卿も、あくどさと海賊も舌を巻くほどの狡猾さで追い詰めていく様子が見たかった。最後ももっとあがいて欲しかったのに、呆気なくて残念だ。

・ウィルとエリザベスも、プロポーズの前に、淡々と恋愛とは関係のない事を語らせながら、「ああ、やっぱりお互いが一番だな」と思い合っているのが傍から見ていてよく分かる、みたいな場面が欲しかった。エリザベスの、ジャックへの思いも中途半端になったのも気にかかる。あ、「ジャックいらんからウィル頂戴」で十分か?

・でも、それらを全部やると三時間どころか四時間五時間になってしまう。・・・あ、四時間五時間もジェフリー・ラッシュ漬けになれるという事でもあるな。

・私もキャプテン・ピンテルに一票。

・ギブスは海ガメでジャックを追っているんだろうか?ジャックもギブスぐらい同乗してあげたらいいのに。

・海ガメで思い出したけれど、犬君が無事でよかった。二度も神様に逃げられたあの部族の平穏も祈ろう。


 バルボッサについて。


・ウィルとエリザベスの立会人になったのには驚いたけれど、思えばこの人がいなかったら二人は堂々と恋仲になることもなかったからな。他の人だと多少なりともエリザベスに好意を寄せているのでウィルが油断できないし、最適の人材かもしれない。この話は、バルボッサがエリザベスの呼び方を「ミス・ターナー」から「ミセス・ターナー」に変えるまでの話だったんだな。

・ああ、ラゲッティの義眼になりたい。普段はラゲッティの眼窩におさまって、時々ちくちく刺してしまうけれど、それでもなりたい。最後燃やされてもいい。「1」の時はあんなに重要なものだったように思えないが気にしない。

・ジャック対バルボッサ再び、は、バルボッサがジャックの背後から不意に斬りつけるぐらいの形であると思っていたので、無くて残念だった。船長の座を巡っての戦いはじゃれ合い(おい)だし。まあ、最後にまた裏切ったからそれでよしとしよう。

・にもかかわらず、バルボッサの一番好きな場面は、そこまで略奪願望と敵意とをむき出しにしているというのに、三部作中、ジャックが本気で命令を発した「撃て!」の瞬間だけ、「了解!」と、ジャック船長の指示に従って他の船員に指示を出しているところだ。心の奥底ではジャックが船長だと認めていても、だからこそ船長の座を奪いたくてたまらないバルボッサが大好きだ。

・そうやって、二人は裏切ったり出し抜いたりして、ずっと一緒なんだろう。もう、ブラックパール号も二人の共有財産という事で。あの二人にそこまで愛されているブラックパール号って、この話の裏ヒロイン?


 ところで表ヒロイン、もといヒロインであるエリザベスはヒーローも兼任だと思います。正直、ジャックよりもウィルよりもヒーローに見えます。三人の中で嫁に行くならためらいなくエリザベスを選ぶぞ。バルボッサは嫁というより愛人コースだが、恋人に囁くように吼えた辺り、色恋そのものに興味がなさそうなので何にもなれないかもしれない。寂しい。

 

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2006-06-04 (日)

「寝ずの番」          カルチャー /映画

「寝ずの番」(2006年、日本)

 中島らもが好きである。
 津川雅彦も好きである。
 それから中井貴一に木村佳乃に岸部一徳に堺正章に長門裕之に、・・・もういいか。そんな訳で観に行った映画である。
 落語についてはたぶん、馴染みがない方だろう。学校の催しで、二度ほど見たぐらいだ。

 梅田ガーデンシネマの最終週にようやく駆けつけられた。最終週ということで朝の一回のみ、ある程度の年代の方ばかりである。
 話の内容はいくつかのお通夜と、下ネタである。確か広告には凄すぎてR指定、とあったが、まさにオンパレードとは思わなかった。といってもそのものずばりは全くなく、からからと笑える見せ方、話の出し方をしているのが良かった。大笑いではなくてもくすっと笑えたり噴出せたりする。
 また、お師匠さん達夫婦の過去話を通じて、世間では日の当たりにくい、近現代の文化が垣間見えるのも嬉しかった。特に艶歌はこれが創作なのか、実際にあったものの引用かは分からないけれど、こうして形に残るのはとても幸せなことだ。中身はあれだけど。
 R指定なのは「子どもは見てはいけません」なのではなく、「子供はこっそり見て大人になれ」の印だろう。それぐらいお子様がお断りなのは稀有な事だ。
 原作が三部作の短編だったという事で、話が多少ぶつ切りだったのが少し気になったぐらいで、呑気に観に行くには格好の映画だろう。付き合い始めの恋人と観るのだけはお勧めしないけれど。

 そういえば、観に行く数日前、本屋で平積みにしていた原作本がなくなったなと思っていると、「寝ずの番の原作本ありませんか」と店員さんに尋ねていた女性がいたが、それも分かる気がした。

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2006-04-30 (日)

「Vフォー・ヴェンデッタ」          カルチャー /映画

 私事(このblogの方が私事ともいうが)に時間を取られて更新していなくて申し訳ないです。しばらくの間、全体ではなくざざっと思った事だけを綴る方式にします。
 合間に観た映画もいつか書かねばならないのでとりあえず通し番号とは別番号で。

A.「Vフォー・ヴェンデッタ」(2005年、アメリカ・ドイツ。ここではアメリカ映画に分類しました)
(映画館)

 ナタリー・ポートマンが髪を剃った、というので少し気になり、予告編を見たら私の苦手な部類の筈なのに何故か観に行く気になり、で観に行った。
 話題作の筈なのに公開している館が少ない。神戸国際松竹は嫌いじゃないからいいけれど、前の方に席を詰め込みすぎだと思う。
 観ていてやたらとVが気に入ったので大変満足したのだが、よくよく筋を考えてみると他愛がないので、役者の方たちの演技とスタッフの方たちの演出との勝利だろう。後日、しっかりノベライズ本を買ったが、原作本は映画と大分違うと言う事でそちらも欲しくなった。DVDが出たら買ってしまいそうだ。
 Vの役の方がエージェントスミス氏と聞いて思い出したが、そういえば先日、「マトリックス リローデッド」を観忘れた。今度レンタルショップに行かねばならんねアンダーソン君。

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2006-02-05 (日)

「キートンのハード・ラック」          カルチャー /映画

41.「キートンのハード・ラック」(1921年、アメリカ)
(テレビ)

 以前、「プロポーズ」という映画をテレビで見たのだが、「バスター・キートンの元ネタの方がずっと面白いよ」という意見があったので、それ以来気になっていたのだ。やっと今回、一本見られました。
 さてこの話は何だかついていない主人公の流転話だったが、話の脈絡は全くなし、その場その場をノリで楽しめ、細かいところも気にするな、と言わんばかりの展開で楽しかった。それが二時間続いていたら話は別だが、三十分もないのもよい。
 声がないので親切にも日本語の語りがついていてそれも面白かったが、何となくぼそり、ぼそりと台詞を喋るのが遠慮している感じでそこが少し気になった。もっと弾けるぐらい、脚本を逸脱するぐらいの勢いで喋ってもらった方がいい気がする。きっとこういう映画が上映されていた頃、話芸というものが確かにあったのだろう。映像も、髪の先から爪先まで身体を思うように動かす芸を堪能した。
 オチも「何でだ!」と裏手で突っ込みを入れたくなるふっ飛んだものになっていて楽しい。いや普通に船か何かで帰って来なさい。
 やはり、「プロポーズ」の元ネタだという「セブン・チャンス」はいつか観よう。

by せつこ at 23:06 │comment (0)TrackBack (0)

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2006-02-05 (日)

「鞄を持った女」          カルチャー /映画

40.「鞄を持った女」(1961年、イタリア)
(テレビ)

 テレビのチャンネルを変えていたら何とも首筋のすっとした人が映っていた。その番組が、この先放映する映画の宣伝番組であると知った私は、その人の映画を録画する事にしたのだった。
 その人とはクラウディア・カルディナーレである。名前が長いのに不思議と覚えやすいのも気に入った。無事録画したものを見た私は、彼女の首筋と美貌を心行くまで堪能できたのだった。めでたし。

 さて、話も私が弱い、少年が主人公の、年上の人との恋物語だ。ロレンツォは兄に騙されたその人、アイーダにただただ憧れるのだが、次第にこちらには彼女がただ騙された運のない人、というだけではないことが分かってくる。何かに見放されたのは確かだけれど、もっとしっかりする為の何かが必要な人なのだ。その「何か」、それだけで生きていけるというぐらい自分を大切にしてもらえた思い出、にロレンツォがなるまでの話であるわけだけれど、段々明らかになるアイーダの事情を知ってなお、幻ではなく目の前の人を愛そうとするこの少年が良かった。もちろん自分の為ではないものの為に身を滅ぼしかける女性も良い。
 少年の目を意識しながらもどう見ても嫌な奴と踊っているところとか、映画のプロデューサーにどうしても彼女がその時欲しい金をちらつかされ、一旦ははねつけられたのに、結局手に取りかけてしまうところとか、あまりにも悲しい。
 一番好きなのは、やはり上の宣伝番組で「これは録ろう」と思ったきっかけでもある、海辺で二人が見つめあい、アイーダのほつれた髪が海風になびいている場面。白黒だからか、どこまでも果てしなく海が続いている気がした。
 やっぱりこういう話では、「もう会えないけれど、お互いの中では最上の思い出だけが残った」という終わり方なのだな。ロレンツォが最後に見せた配慮に、彼が大人になった事が分かった。
 しかし、私はお話に出てくる神父が大抵好きなんだが、憎まれ役であるこの話の神父は普通に好かなかった。この神父の気持ちは分かるけれど。

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2006-02-01 (水)

「PROMISE」          カルチャー /映画

39.「PROMISE」(2005年、中国)
(試写会)

 本町の御堂会館である。駅前の中華屋で揚げそばを頼んだら、汁気のかかったところは汁を吸いすぎてふにゃふにゃ、かかっていないところは水分が飛びすぎて固いを通り越して棒、という最悪の麺に当たった。揚げそばはさくさくの麺が命だと思うのだがどうでしょう。
 浜村淳です。当たったら洩れなく浜村淳の司会と抽選会がついてきたのだった。関西人として、浜村淳は外せない。話芸を楽しみながらも、いつネタバレするかとはらはらして聞いていた。
 さて話の内容だが、一言でまず言おう。
 変だった。
 それも意図的に作った変ではなく、真面目に作ったのに見たら何かが変、と感じるような変である。演出が変になることもあるし、何でこんな変な場面を作ったの、という所もあった。かと思えばこちらの感性とぴったり合って、感心したり切なくなるところもあったりするのだが、やはり全体的にはよく考えたら何だか変、なのである。
 例えば、昆侖が冒頭の戦場を初めとして、何者よりも速く走る場面がある。昆侖は足の速さを武器にしていくので本来なら驚愕の眼差しで見なければならない。のだが、その為に土煙をあげて暴れ牛の大群より速く走ったり、速く走って綱で繋がっている傾城を凧よろしく空を飛ばせたり、果てに水しぶきとともに湖を渡ったり。他のはともかく、最後のはアラレちゃんを連想した日本人は私だけではない筈だ。
 他にも、戦争を勝利に導いた光明を群を挙げて胴上げする。公爵が火にかざした羽根が燃えないからといって、部下の人達が火を取り囲んで一生懸命火をあおる。など、気になる場面が山盛りである。
 繰り返すが、変なだけではないのである。少女の所へ女神が舞い降りて選択を与える下りや、成長した傾城が兵士達に呼びかける下りは好きだし、光明が花が落ちないように木を囲むあたりも切ない。だが、時々演出を変に感じてしまうらしい。
 変だ変だとばかり言っていないで、話にも触れよう。不満があるとすれば、王様の傾城への逆上がそれまでの寵愛などを描いていない為、あまりにも唐突過ぎる事と、本当の愛する相手である昆侖の代わりに傾城が愛する事になった光明が、あまりにも何もしていない事か。光明が傾城の所へ追いかけて行ったのも、傾城からしたら格好いい行動なのだが、我々からしたら昆侖に言われてしただけである。駄目男だ。女神から予言を受ける辺りでは、権力の一環として傾城を囲う事になったけれど、最後の最後で愛していた事に気付く、とかそんな風になるのかなと思っていたのだが、あっさり女に転んだしなあ。
 傾城も、自分の魂を救った人として愛しているのは昆侖だったけれど、あまりにも人間過ぎる行動を取った光明もまた愛していた事にも最後に気付いていた気がする。逆に昆侖の献身は献身過ぎて、傾城を本当に愛していたかも疑わしい。彼が本当に愛していたのは、あまりにも遠い過去の家族との記憶だけではなかったのかと思う。
 というか、鬼狼の方がよっぽど昆侖の事が好きだったように見えた。
 それと、公爵の傾城への恨みは、逆恨みだと思う。腹が立ったのは分かるがそこまで恨むほどでもないだろう。逆に言えばそこまで恨むほどでもないのを原動力にしたから偉くなれたのか。偉大な人ってやっぱり変だ。
 そういえば、そもそものきっかけとなった女神は前半に出たっきりになっているので何となくテーマが未消化の気分である。蛇足になるのを覚悟で最後にももう一度出てくるべきだったと思うのだがどうだろうか。
 とやかく言ってきたが、何よりも雄大な景観と鮮やかな彩色に見とれる。女性陣は美しく男性陣は格好良い。だから細かい所なんかどうだっていいんじゃないか、という気分にもなる。
 細かい事を気にせず、大陸よりも広い気持ちで見てお楽しみ下さい。

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2006-01-28 (土)

「ハイ・フィデリティ」          カルチャー /映画

38.「ハイ・フィデリティ」(2000年、アメリカ)
(テレビ)

 確か「アバウト・ア・ボーイ」と同じ原作の人だった気がする、のが録った理由だったように思う。世界が破滅の危機になったら真っ先に死にそうな青年が、自分では素敵だと思っている生活があるきっかけで奇妙にずれていく事により自分を見つめ直す作品だった訳だが、この話もまた違う。今度は世界が破滅の危機になっても気にしなさそうな青年が、自分では素敵だと思っている生活があるきっかけで奇妙にずれていく事により自分から己を見つめ直す事にする作品だった。
 時々、主人公がこちらに向かって語りかける、という手法を取っている訳だが、普通にナレーションを使って高みから己と観客を見下ろすよりは同じ目線に見せる演出にしようとしたのだと思うけれど、話と上手く作用し合っているのかはよく分からない。
 話の筋は面白い。自分を振った女達に理由を聞きに行くという男の話である。聞きに行ってみると、当時は分からなかった理由や事情から、相手や自分の本当の姿が浮かび上がる。・・・自分がどれだけ最低で、運がなかったのはほんの少し、人を見る目も話を聞く耳も持っていなかった、という事を。
 それを踏まえて、やっぱり少しの不運を基に最低の行動を取らせる辺りが「人間という生物はどうしようもないな」と思わせてすさまじい。
 中でも、「出て行った彼女と話せてすっきりしたからほかの女と寝よう」等というような事をのたまってくれた時には「ええ!?」とテレビに向かって本当に言ってしまった。
 思いかけず、キャサリン・ゼタ=ジョーンズとジャック・ブラックが見られたのも嬉しかった。
 とりあえず、主人公の例に倣って、
1 付き合っている人に他に相手がいないか
2 知らず知らずの間に恋人を自分が振る仕打ちをしていないか
3 適当な理由で好きでもない相手を選んでいないか
4 気分が高揚しすぎて好きな人を美化しすぎていないか
5 相手の事をきちんと見ていてかつ相手に思いを伝えているか
 には気をつけたい。

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2006-01-27 (金)

「理想の結婚」          カルチャー /映画

37.「理想の結婚」(1999年、イギリス)
(テレビ)

 オスカー・ワイルドといえば、私としてはまずあの悲しい童話「幸福の王子」で、他は何となく不吉な匂いのする作品ばかりなので、なんとなく暗い印象がある。
 映画と原作は別物になっている、という事はよくあるから断定は出来ないが、今回観た話はそれとない影はあるものの基本的に滑稽で、意外に思った。やはり第一印象は当てにはならない。
 ケイト・ブランシェットが出ているということで録画した映画である。今回の役は夫の過去を知って右往左往する良妻だ。
 上の通り、オスカー・ワイルドに偏った印象を抱いていたので、夫の過去が何なのかで引っ張って、どんと不幸に落として「理想の結婚なんてある訳がない」と皮肉気に終わるのかと思い込み勝手に辛い気分で観ていた。そうしたらすぐに重大ではあるものの思ったよりも深刻ではない過去が判明したので、これはおさまるべき所におさまって終わりそうだ、と急に安心して観られた。そうなるとんな阿呆な、という展開も気楽に見られたので人間は現金である。
 気楽に見られるとはいえ、愛情故に、愛している人に最善の行動が取れなくなってしまう、ということを夫婦両方に取らせる、という、人生ではあまりにもつまづきやすい事の一つを見せられるので、少し辛みがきいている。
 筋だが、前半と後半が結構別物なので、もう少しうまく繋げられたらな、と思った。それに前半の夫の悩みは本当に身の破滅に繋がるが、後半の妻の悩みはばれてもどうって事でもないので緊迫感に欠けた、というのもある。
 と書いていると何だか粗の多い話のようだが、実際は極めて朗らかな気分で観終われたのであった。「僕は結婚なんてしないんだ」と言っている友達と「あなたの欠点は一つもなくして欲しくないわ」と告げる妹の恋模様は微笑ましいし。
 「二人は晴れて結ばれたのです。めでたしめでたし」のその後を知りたい方はどうぞ。

by せつこ at 22:47 │comment (0)TrackBack (0)

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