2008-05-21 (水)
街道をゆく2 韓のくに紀行
司馬遼太郎 著
司馬遼太郎が韓国に行きたいと思ったのは兵隊のとき関東軍に送られる過程において列車で韓国を縦断したからと書いており1971年に訪韓している。
もう一つの理由は我が国と韓国・朝鮮が古代において隣国以上の関係を結び融合して来たと考えたからであろう。
この様な考えは「街道をゆく」シリーズの出発・スタートの<湖西のみち>で近江を選んでいる事にも現れている。
本書は大きく「加羅の旅」「新羅の旅」「百済の旅」三つ項で構成されている。
1.加羅の旅
加羅は「伽耶」「任那」とも呼ばれ釜山郊外で現在の金海市辺りであろう。
韓国での姓で多くを占める「金(キム)」姓の最も名門とされるのは「金海金(キメキム)」と言います。従って金姓の人は私は「キメキム」ですと少し自慢そうに話します。これは本貫/본관(ポングァン)と言って始祖の土地を表し「○○朴」とか「○○李」とかいい所謂出身地だと思えばよいのです。


首露王陵
2.新羅の旅
慶州は新羅の古都です。
慶州には多くの寺社、古墳が残っています。何故なら七世紀半に百済・日本(斉明・天智帝時代)連合軍を破り統一したのです。要するに戦勝国です。
後でご紹介しますが逆に百済は敗戦国で百済の都扶余には殆んど史跡・遺跡が残っていません。
掛陵 司馬遼太郎も「息を呑むほどの美しさ」と表していますが、塾長も訪ねたとき静寂と気品・素朴・司馬と全く同じ感想を持ちました。観光客はあまり訪れませんが是非行って下さい。

世界遺産 佛国寺
世界遺産 石窟庵 如来像
3.百済の旅
百済の都は扶余です。
前述のように大田(テジョン)近郊の扶余には遺跡があまり残っていません。
残っていないだけにより侘しく感じますが、この百済が歴史上我が国日本と大変密接な関係であり大きな影響を与えているのです。
新羅に敗れ白村江に身を投げる三千人の宮女 激戦の跡 白村江
百済について蛇足になりますがこの時の敗戦が現代まで続き政治的・社会的にも大変なハンディとなり現代韓国社会の縮図背景となっているのです。
文禄・慶長の役で朝鮮側に投降し日本軍と戦った「沙也可」の末裔が住む友鹿村(ウロクチョン)も訪ねています。
紀行文ですから他にも沢山の面白い話題もありますから読んで下さい。
読むのが面倒な人はNHKで映像シリーズ化されていますからDVDでも良いのでは?是非どうぞ!!
文禄・慶長の役の図書を編集中ですから近々掲載予定です。
中高生推薦
評価★★★★★
by 毘沙門のPIG at 17:24 |comment (0) |TrackBack (4)




