2011-11-21 (月)
つながる・築く・動く くらし /ボランティア
大学の恩師の著書を、読み直しています。
『ボランティアという人間関係』
(原田隆司・著 世界思想社 2000年)
先生ご自身が、阪神大震災で、避難所に入ってボランティアをしたときの、
経験、そこで感じた疑問を交えて、ボランティアと人との関係について考えた本です。
最終的に、先生は、
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ボランティアとは、人と人とが出会って関係を築き、それまで不可能だった行動を実現することだ。新しい行動は、人それぞれが違う部分を担うことによって可能になる。
他の方法ではできなかったことを実現しているのだから、ボランティアは世の中に異議を唱える関係でもある。しかしいずれその行動は必要なくなるか、ほかの方法によって実現されるので、一時的なものである。
時には、ここからさらに深い絆が生まれることもあるだろう。また、ボランティアというよび方が特定の意味を与えることがあるために、関係ができあがるときや、関係を超えた絆に向かうときに、ひとつひとつの具体的な関係の意味を限定してしまうという印象を与えることもある。
ボランティアとは、それにかかわるひとりひとりの自由な判断に基づくものだ。自分の意志を表明し、だれかと関係を築くことができること。そして、さまざまな新しい行動を多くの人が許容すること。ボランティアを可能にする世の中は、ほかのさまざまな関係や行動も可能にするだろう。
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と締めくくっています。
今から11年前に書かれたものだけど、
当時からみた「未来」の今、
この結論に近づきつつあるのかなぁ、とちょっと思いを馳せてみた。
支援をしようと思う人の熱意と現地で支援を必要としている人の思いが
ときにすれちがい、支援とは間逆の効果を生むこともある。
東北の学童の現状を知り、何か支援をと東北の学童関係者とつながって、
できることを考え、進めようとやりとりをする中で、
そんなに意気込まないでほしい、支援はほしいしありがたいけど、受け取れる元気がない、
だからこそ、人の心のケアができる専門のスキルを持った人が支援にあたるべき、という考え方も、アリだと思うし、
ともかく動く、動きながら調整していく、という考え方もアリだと思う。
米軍のトモダチ作戦っていうのがあったけど、
友達は、ケンカもすれば傷つけあったりもするけれども、
その中でお互いを知り、より深い絆を結べる可能性もあるわけで。
(うっわー、TPPとかある中で結構意味深だわあ。トモダチ作戦)
今、東北の学童と、関西の学童は、
本当に、某首相以上に泥臭いかもしれないけど、
そういったやりとりで、ゆっくりだけど確実にお互いの理解を深めて、
これからきっと長く強い関係ができそう。
子どもが保育中に怪我して、不注意を反省し凹むことはあっても、
人と人との関係は、いつだって築きなおせると思っている人たちだから、
嫌な思いをしたら、嫌だと言えるし、ごめんなさいとも言えるし、
そこから新しい理解や関係を生み出そうとする心と、
嫌な思いをしても、相手の思いを許す気持ちも持っているから、
できることなのかもしれない。
だから、被災地支援の何がアリでナシなんていうのは、
本当は決められなくて。
それぞれの活動や思いが、届けられる、受け取れる人や団体や地域の間で
しっかりとした合意がなされていれば、
これが支援のあり方だと定義しなくてもいいかもしれない。
それこそ二極化からの脱却だと思うし、
スピ的にいえば、アセンションが起こっていることにもなるのかな?
私は、今しようとしている活動に、どうしても納得がいかなくて、
納得がいかないものを、何事もないように進められなくて、
(ここが私の社会人として弱いところでもありますが)
今日1日、いろいろ考えていたら、ここまでまとまってきました。
そうすると、まちむすびやハッピーバトンの活動も、
似たような関係性をつくり、動きを生み出そうと思っていることだなあ、
と、思ったり。
秋の夜長は、もの思ふ夜。
すっきりしたので寝ます。
おやすみなさい。
by まままや at 00:40 │comment (0)








